ふと考えました。
罪悪感って何なんだろう!
どうゆう感情なんだろうって!
とりあえず辞書をひいてみた!
社会的、道徳的に非難されるべきことを犯したという意識ないしは感情。こうした意識・感情がおきると自尊心を失い、罪滅ぼしをしようという気持ちがおきる。自分を無価値なものとみなす傾向のことをもいう。このときの罪悪感は意識的なものであり、社会的道徳を維持していく力にもなっている。精神分析では、神経症的な無意識の罪悪感が注目され、罰を求める要求が仮定される。一般には非難されるべきことを犯したという意識から罪悪感が生じるが、むしろ罪悪感がゆえに罪を犯すというように考えざるをえない病理的ケースがみられるからである。こうしたタイプの犯罪者は、無意識の空想的犯罪からおこる罪悪感から逃れるために現実に罪を犯し、その罪悪感を甘受する。現実に処罰されることによって無意識の罪悪感を現実の罪悪感に置き換えることができるので、心理的には解放感を得ることができると考えられる。こうした罪悪感は多くの場合、自我と超自我の葛藤(かっとう)によるものが多く、罪悪感は超自我に対する自我の不安であるといわれる。すなわち、自我は超自我の命令に従うことができないと自ら罰を受けようとする。これが無意識の処罰欲求とよばれるものである。
コトバンク引用
後半の罪悪感がゆえに罪を犯すパターンはおいておこう!
前半のやつ
社会的、道徳的に非難されるべきことを犯したという意識ないしは感情。こうした意識・感情がおきると自尊心を失い、罪滅ぼしをしようという気持ちがおきる。自分を無価値なものとみなす傾向のことをもいう。このときの罪悪感は意識的なものであり、社会的道徳を維持していく力にもなっている。
社会的道徳を維持するものってことなのか!
人間が社会を形成するにあたって必要な能力なんだなあって一つの答えは見つかった。
罪悪感があるが故に悪いことや人が嫌がることをするのはやめよう!
これはとても罪悪感が良い方向に向いている良いケース。
最近もやっと来ているのが、
加害者が罪悪感に苛まれて、被害者に謝罪して、モヤモヤをすっきりしていくケース。
これはたまったもんじゃない!
ずるいよ!
謝ってすっきりするのはずるいよなあ!
なぜもやもやするのかっていうと
謝る目的は変な方向むいちゃっているから!
謝る目的が被害者に対してじゃなくて、自分のために謝っているという点。
それはずるいよ!
それはオナニーと一緒!
自分が気持ちよくなるための行動!
その辺が人間関係や社会の難しいところなのかと思う。
そこまで人間はうまくできてない。
罪悪感が生まれるよう、作られた遺伝子もそこまで考慮はできていないのってこと、
大きく捉えれば、一度罪悪感を感じたことは、2回目はやりずらいのかもしれない!
そんなところかもしれない。
なんかもやもやするなああ
誰か教えてほしい。
心理学的な罪悪感みたいなやつ、
心理学って遺伝子的な話から聞きたいなあああ
動物な罪悪感を感じているのかとか思いしろそうですね。
皆さんも罪悪感についてもう一度考えてみましょう。
文章書いているうちにモヤモヤが晴れてきた気がします。
やっぱりブログはたのしいなあ!